彼が一度日本に来て暫く一緒に過ごしてから、ビザの手続きも足早に済ませ、
私は彼の待つアメリカへと戻った。
アメリカでの生活に対しては、もちろん楽しみもあり、
こんな突然の決意で飛んできたけど大丈夫なのか、という不安もあり、
でも決めたからには突き進む性格の私は、とにかく今度こそ幸せになるんだ、という気持ちだけで
行動していた。なんの確信もないままに。
英語力にはそこまで問題のなかった私は、アメリカ生活自体に問題を感じることはさほどなかった。
だが、彼の娘はまだ当時3歳になったばかり。
初めて母親業をこなすのは、試練の連続だった。
初めの1か月はなんとも幸せいっぱいの生活。そのあとからは苦悩の生活。
娘ちゃんもようやく、「あ、この人は一時的にいるんじゃないんだ」と気づき始め
それからは、自分が独り占めしてきた父親を見ず知らずの人にとられた、とでも思い始めたのだろう。
それまで私にくっついて甘えてきた彼女が、手のひら返すように、私に対して敵意を見せるようになった・・・
私が何を言っても反発。何をするにも「ダディー!」と父親に訴え、甘える。
私は心が折れそうになる日々をそこからしばらく続けた・・・
一緒に生活を初めて半年~1年ほどたったころから、ようやく娘ちゃんも私に対して心を開き始め、”家族”として認めてくれ始めたように感じた。
がしかし、一方で彼の方はというと・・・私との生活にも”慣れ”が生じてきて、見える見える彼の裏の顔が。
先に結論から言うと、彼はこのころどっぷりと薬のアディクションに陥っていた。
だが、私はそんなこととはつゆ知らず。1ミリの想像もしなかった。
なぜかって?彼は”鬱”で苦しんでいる可哀そうな元シングルファーザーを演じていたから。
また、私には薬中毒者の知識も全くなかったから。
”鬱”のせいで、気性が荒くなる、倦怠感に襲われる、突然キレる、気分の浮き沈みが激しい、食欲も失せる・・・・
というような言い訳を彼はしていた。
それを私も鵜呑みにし、鬱になっている彼を助けてあげたい、とばかり思って、そんな彼の日常に耐えてきた。
日によって彼はとってもスウィート。またある日はとてもキレやすく、その怒りは私には止められず、物に当たったり、壁を殴って穴をあけたり・・・
彼が荒れている日は、私はとにかく娘ちゃんを連れて公園へ避難したりしていた。
これもどれも彼が鬱になってしまったから、鬱はきっといつか治せるから私が傍で支えて頑張るしかない。そう思って必死に生活していた。
そんなある日、私はいつものように掃除機をかけながら家の掃除をしていた。
床に脱ぎ捨てられた彼のズボンを畳んでしまおうと持ち上げたら、ポケットからあるものが見つかった・・・・
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